平和道りの歴史調査

高田馬場の戸塚村から面影橋を渡り南蔵院を右手に見ながら真北に向かい、少し東に位置する雑司ヶ谷村の鬼子母神・法明寺から少し離れた道を北上、江戸時代にできた池袋村の四面塔を越えてしばらくいくとゆるやかに曲がる丁字路に突き当りそこをさらに北に行くと金井窪村から板橋宿に出る。この道は文化14年(1817年)の伊能忠敬・江戸府内図を参考にしたものです。古い時代の街道は狭く基本的に高台に道は造られました。高台もしくは尾根であれば雨による被害が少ないので、通行に適していたからでしょう。今では室町以前の道は江戸の頃には忘れられた道になってしまっています。しかし残っている道もあちらこちらにあるようです。当時の道が判りずらかったのは、幅の広い鉄道が通りを斜めに分断した為なのですが、文献によっては雑司ヶ谷道(鎌倉街道)と記載のあるものもあります。「南向茶話」によると鎌倉古道は雑司ヶ谷村から東に向きをかえ滝野川村を通り中山道を横切り豊島村から千住に行く道筋だったようです。池袋平和通りは雑司ヶ谷村の分岐から中山道の板橋宿へ行く最短の道の中ほどにあります。

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