池袋平和通りは実は古道だった

当時池袋平和通り商店街は、江戸時代は雑司ヶ谷道として中野宿から板橋宿へいく途中にあった街道の池袋村の一部でした。伊能忠敬の文化14年(1817年)江戸府内図に描かれています。そこにはかなり大きな沼、池が描かれていて文献によると大小含めるとかなりの数になったと記載されています。また池袋村では人を探すのは難しいといわれていて村の中でさえそれぞれの文化の違いがあり、お互いの交流は池、沼などにより分断されていたと思われます。当然村の男たち嫁ぎにくる娘などはいなかったでしょうから池袋村で生まれた娘は大事な嫁候補だったに違いあれません、それらが原因で「池袋の女伝説」が生まれ民話として語り伝えられてるのです。調査した情報と共に地域情報もブログにて紹介しています。「アゲハをとばそう」検索で見ることができます。歴史以外にも商店街にまつわる民話と古地図の位置関係などを検証し紹介しています。興味のある方は検索してみてください。

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